ペリーが来航した時の言葉のやりとりは意外な言語だった!?

歴史の雑学

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1853年にペリー率いるアメリカ海軍が黒船に乗り、浦賀に上陸したのは歴史の授業で習いましたよね!

 

ですがその際、

  • アメリカ人と日本人がどうやって言葉を交わしたの?
  • 鎖国中の日本になんで上陸できたの?
  • 一体何日かけて日本まで来たの?

 

などなど、素朴な疑問が出てきた方もいたはず。

その疑問を一緒に解決しましょう!

 

黒船来航に関する疑問の数々。

何語でやりとりしたの?

アメリカ人のペリーと我らが日本人のご先祖様。

ましてや鎖国中の日本に「英語」を話せる文化など殆どないはず…。

一体どうやって会話したんでしょうか?

 

結論から言うと「オランダ語」で会話したんです!

 

日本語でもなくて英語でもなくて「オランダ語」なんです。

実は日本は鎖国中でも長崎県の出島を通じて、中国、朝鮮、そしてオランダなどの一部の国との交易をしていました。

全くもって交易をやめてしまうと世界情勢がわからなくなってしまうからなんです。

 

なので出島にはオランダ語を話すことができる通訳の方がいたそうです。

つまりペリー側の使者がオランダ語で話し、通訳が日本語に変えて幕府に話す。

逆もまた同じようにやり取りをしていたんです!

 

 

鎖国中じゃなかったっけ?

しかし1852年に日本幕府は「外国船打払令」を出し、出島意外に近づく外国船を近づけないように、威嚇砲撃をして追い払う、つまり「鎖国」をしていました。

 

なのになぜ、アメリカ船である黒船を受け入れたのでしょうか?

 

実はペリーはオランダ経由で日本のことを把握していました。

つまり、ちゃんと出島から入ってもアメリカ船は追い払われてしまう事も知っていたのです。

 

なのでペリーは、出島ではなく江戸湾の浦賀に急に現れ日本より先に大砲で威嚇砲撃したんです!

 

かたや日本幕府もオランダ経由で、ペリーが来航することを知っていました。そしてその目的が「開国せよ。」ということも。

ですが、日本幕府はまさか浦賀に来るとは思っていませんでした。しかも今まで見たこともないでっかい船が4隻。しかも砲撃してくるじゃん…。となれば追い払うこともできませんでした。

 

つまり半ば強引にペリーは日本への上陸を成功させました。

 

日本へ来るまで何日かかったの?

アメリカから日本へと聞くと、太平洋をまっすぐきたのかと思いますよね。

しかし当時はその分の燃料を船に積むことはできない時代でした。

 

なのでアメリカから東回りにヨーロッパを経由して、燃料を補給しながら来航したと言われています。

 

その期間、実に半年以上を費やしたと言われているんです!

 

半年以上もかけたわけですから、絶対に開国させたいと思ったペリーは、かなり強引でもこのような手段を使って日本と交渉したいと考えたんですね。

 

さいごに

いかがだったでしょうか?

ペリーの黒船来航による素朴な疑問。

外国との交易を遮断していた日本と、開国させたいアメリカの絶妙なやり取りがあったんですね。

 

 

彼の来航がなかったら、現代の日本人はいまだに「チョンマゲ」「着物」だったかも!?

 

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